お釈迦さま

 お釈迦さまの呼び名で親しまれている釈迦牟尼佛(しゃかむにぶつ)のご生涯を簡単に説明させていただきます。
 釈迦牟尼佛とは、釈迦族の出身の聖者(ムニ)、すなわちめざめた者ー覚者=仏陀(ブッダ)という意味です。

【誕 生】
釈尊誕生佛
 お釈迦さまの名前は、ゴータマ・シッダールタ(ゴータマは、釈迦族の姓で、シッダールタは、目的を完成している者)といい、紀元前463年(この他にも諸説あります)4月8日に、現在のインド国境に近いネパールのルンビニ園と言うところで生まれました。
 この日に行われる法要を『降誕会(ごうたんえ)』『花まつり』と言います。
 父は釈迦国の国王シュッドーダナ、母はマーヤー夫人と言います。お釈迦さまは生まれて直ぐに、七歩あゆまれ、右手で天をさし、左手で地をさし、「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)」とおっしゃったそうです。
 しかし、生後7日で母を喪い、母の妹マハー・プラジャーパティによって育てられました。

出 家】
 19歳の時、ヤソーダラーを妃に迎え、ラーフラという一子ももうけるが、生まれてすぐ母を亡くしたことや、国をとりまくさまざまな困難から、物思いの風はやまなかった。
 そのころの物語として、農作業の様子を見て、掘りおこされた土の中から出てきた虫を、小鳥がついばみ、その小鳥が大きな鳥にねらわれるさまを見て、深く悲しんだと伝えられてます。
 またある日、城の東門を出ると、杖をついた腰のまがった白髪の老人に出会い、南門を出ると病人に出会い、西門を出ると死者に出会い、そして最後に北門を出た時に聖者に出会い、自らも出家を志したとされてます。これを四門出遊(しもんしゅつゆう)と言われてます。
 29歳の時、人間はどうして生まれ、老い、病み、死んでいかなければならないのかという、生老病死の問題を解決のため、ある日の深夜ひそかに城を出て、王舎城に行き、その近郊で修行生活に入りました。

【修 行】
 始めに、二人の仙人から禅定(ぜんじょう、坐禅瞑想して精神を統一する修行)の教えを受けるが満足しなかった。
 そこで今度は苦行林に入り、父王が使わした五人と共に苦行(くぎょう、断食などをする修行)の生活に入りました。ここでの修行は6年も続き、生死をかけた修行だったようです。身は骨と皮だけにやせ、眼は落ちくぼみ、肌は墨色のようで、生きているとは思えないほどであったと言われてます。しかし、苦行は目的を達する事は出来ませんでした。
 苦行の無益を知ったお釈迦さまは、衰弱した体を尼蓮禅河の流れできよめ、村の娘スジャータから乳糜(にゅうび、乳粥)の供養を受け元気を回復しました。
 
【さとり】
 体力を回復したお釈迦さまは、ブッダガヤの菩提樹のもとに行き、結跏趺坐(けっかふざ)の坐禅に入りました。坐禅中、悪魔の誘惑や心の葛藤があったが、8日目の暁の明星を見た時に、ついに悟りを開きました。35歳の12月8日の事でした。
 この日に行われる法要を『成道会(じょうどうえ)』と言います。

【最初の説法】
 悟りを開いた後、ベナレス郊外のサルナート(鹿野苑)へ向かい、かつて一緒に苦行をした5人の修行者に、初めてその法を説きました。これを『初転法輪(しょてんぼうりん)』と言います。

【教 化】
 その後、ガンジス川中流地域を中心に、やすみなく布教の旅を続けられました。お釈迦さまの教えは広まり教団として発展していきました。
 その間に、竹林精舎や祇園精舎という寺院も建立されていきました。

【涅 槃】
 各地に教化の旅であったある日、ひとりの鍛冶屋から供養を受けました。それにより激しい腹痛をおこし、クシナガラの沙羅双樹のもとに身を横たえられ、最後の説法の後、紀元前383年2月15日に涅槃(ねはん、ニルヴァーナ=燈火を吹き消す)に入られました。80歳でした。
 この日に行われる法要を『涅槃会(ねはんえ)』と言います。